2012.04.19 Thursday
自分を機嫌良く働かせる
率直に言って、俺は今、むかっ腹を立てている。近年稀に見る強度の怒りが、俺の内側で渦を巻いている。そのプロミネンスが俺の外側へ吹き出してしまわないようにするために、意識して抑制を働かせる必要があるほどだ。何に対する怒りか。なぜ怒りがあるのか。言葉にするなら、上司の命令、その元となった判断、さらにその元となった彼の考え方に、納得がいかず、失望を感じている、ということなのだろう。なまじそれなりの期待があっただけに、俺の中には、裏切られた感が大きく発生したのではないかと考えられる。
彼の内側にある判断や考え方を、俺が正確に理解することは難しいだろう。しかし、様々な状況に鑑みて、結局彼は俺たちのチームが携わっている業務分野のことは二の次で、だからそれに携わっている俺たちのことも二の次で、部下である俺たちのチームの生産性より、事務所の部屋を貸している、部外者の同国人の便宜をはかってやることの優先順位の方が高い、というふうな理解をするのに、いささかの無理も感じないのだ。悲しいことながら。
すでにここまでで、だいぶ怒りを悲しみに変換することに、成功したようだ。言語の、感情を制御する力も、なかなか馬鹿にしたものではない。図らずも二つ前のエントリで書いたこと(用いる言語によって、思考は支配を受け、そして感情もその影響を受ける。)を実証した形になったかもしれない
それにしても、なぜ俺はそんなにも怒(いか)ったのだろうか。おそらく、期待のしすぎだったのだろう。思えば、今まで見てきた多くの「怒り」には、その前段階として「期待」があったような気がする。俺自身も上で書いている。その期待が裏切られた(と感じた)時、人は怒るのかもしれない。そう考えてみると、なんと独りよがりな理路だろうか。手前の勝手な解釈を他人に押し付けておいて、そこからの逸脱に関して激昂する。幼稚極まりない。恥ずかしいったらありゃしない。
もちろん、「怒り」という感情の全てを、「恥ずかしいもの」というラベルのついたバケツに放り込むつもりはない。愛や親しみや信頼という、互いにあると信じ、きちんと機能させている「幻想」に基づいて抱く筋の通った「期待」がある。それを、その「幻想」を一方的に反故(ほご)にして、相手の「期待」を裏切ることは、怒りの対象として筋が通っているだろう。
しかし、この度の俺のケースは、言ってみれば「片想い」だったわけだ。俺と上司の間には、信頼という幻想が確立していなかった。機能していなかった。それなのに、俺の方は勝手にそれがあると思い込み、ないと分かったとき、怒りを覚えた。これは、筋が通っていない。だから恥ずかしいのだ。
さしあたり、だ。上司に過度の期待をせず、むしろ利用するくらいの気概を持って業務にあたるべきだろう。その方が仕事は捗るだろうし、そのうちに信頼も醸成されてくるかもしれない。
そしてなにより、根本的には、俺の矜持は俺自身が抱き保たねばならない、他の誰に持ってもらうでなく、ということなのかもしれない。少し飛躍したか。その間を埋めるとするなら、こうか。きちんとしたパフォーマンスを発揮するには、自分を機嫌良く働かせられるようにすることが必要。誰かに機嫌を取ってもらうのではなく。俺、全然、自立できてないのだなぁ。四十路にも入って。ああ、いかん。機嫌良く機嫌良く。
どうにかして、おだてたりすかしたりなだめたりしながら、俺には働いてもらわなければならない。機嫌良く。しかしこれが難しい。
彼の内側にある判断や考え方を、俺が正確に理解することは難しいだろう。しかし、様々な状況に鑑みて、結局彼は俺たちのチームが携わっている業務分野のことは二の次で、だからそれに携わっている俺たちのことも二の次で、部下である俺たちのチームの生産性より、事務所の部屋を貸している、部外者の同国人の便宜をはかってやることの優先順位の方が高い、というふうな理解をするのに、いささかの無理も感じないのだ。悲しいことながら。
すでにここまでで、だいぶ怒りを悲しみに変換することに、成功したようだ。言語の、感情を制御する力も、なかなか馬鹿にしたものではない。図らずも二つ前のエントリで書いたこと(用いる言語によって、思考は支配を受け、そして感情もその影響を受ける。)を実証した形になったかもしれない
それにしても、なぜ俺はそんなにも怒(いか)ったのだろうか。おそらく、期待のしすぎだったのだろう。思えば、今まで見てきた多くの「怒り」には、その前段階として「期待」があったような気がする。俺自身も上で書いている。その期待が裏切られた(と感じた)時、人は怒るのかもしれない。そう考えてみると、なんと独りよがりな理路だろうか。手前の勝手な解釈を他人に押し付けておいて、そこからの逸脱に関して激昂する。幼稚極まりない。恥ずかしいったらありゃしない。
もちろん、「怒り」という感情の全てを、「恥ずかしいもの」というラベルのついたバケツに放り込むつもりはない。愛や親しみや信頼という、互いにあると信じ、きちんと機能させている「幻想」に基づいて抱く筋の通った「期待」がある。それを、その「幻想」を一方的に反故(ほご)にして、相手の「期待」を裏切ることは、怒りの対象として筋が通っているだろう。
しかし、この度の俺のケースは、言ってみれば「片想い」だったわけだ。俺と上司の間には、信頼という幻想が確立していなかった。機能していなかった。それなのに、俺の方は勝手にそれがあると思い込み、ないと分かったとき、怒りを覚えた。これは、筋が通っていない。だから恥ずかしいのだ。
さしあたり、だ。上司に過度の期待をせず、むしろ利用するくらいの気概を持って業務にあたるべきだろう。その方が仕事は捗るだろうし、そのうちに信頼も醸成されてくるかもしれない。
そしてなにより、根本的には、俺の矜持は俺自身が抱き保たねばならない、他の誰に持ってもらうでなく、ということなのかもしれない。少し飛躍したか。その間を埋めるとするなら、こうか。きちんとしたパフォーマンスを発揮するには、自分を機嫌良く働かせられるようにすることが必要。誰かに機嫌を取ってもらうのではなく。俺、全然、自立できてないのだなぁ。四十路にも入って。ああ、いかん。機嫌良く機嫌良く。
どうにかして、おだてたりすかしたりなだめたりしながら、俺には働いてもらわなければならない。機嫌良く。しかしこれが難しい。

